大バッハの音楽の捧げものの最初の方に出てくる逆行カノンである。同じものを最初からと最後から逆に演奏したものを合わせると調和した一曲になるというものなのだが、奇跡の19小節といってよい。次の楽譜は上段が順行、下段がおなじ旋律を終わりから逆行したものである。これを同時に演奏すると見事なカノンとなる。
どうしてこれがうまく行っているのか。一小節なりの長さが一つの和音であれば、有名なパッヘルベルのカノンのように、音楽として成立させるのはそんなに難しい話ではない。問題は、掛留音を持ったり、順次進行の細かい音符を存在させてかつ和声を頻繁に変えていった場合である。
結論から言うと、ここでの8分音符の扱いは極めて精妙で、順次進行を基本としつつ、順行の場合と逆行の場合で、強拍が交替した時に「うまく行くように」作ってあるということだ。
これだけでは何のことかわからないので、例をとって説明する。
3小節目の4拍目と4小節目の1拍目に着目すると、
(1)順行では、G音が二拍続き、逆行声部はその間に、C B A B という四つの8分音符を鳴らす。前後の関係から、ここの和声は二拍ずつCmとD7(b9)(減七)と考えられるがC Bはそれぞれ和声音(c)と経過音(p)、次のA Bはそれぞれ和声音(c)と経過音(p)と解釈できる。ここで、D7(b9)においてG音は掛留音(r)の扱いである。
(2)これが逆行部分になると(15小節目の4拍目と16小節目の1拍目)、これらの8分音符は逆順の B A B C になるが、それぞれ「攻守所を替え」、最初のB Aはそれぞれ和声音(c)と刺繍音(b)になり、あとのB Cはそれぞれ和声音(c)と経過音(p)になる。
なお、順行では4-6小節目にはそれぞれ掛留音を持たせているが、さすがに逆行ではそれはできないので、13小節目の4拍目以降は、いわば一拍ずつずれた形で和声が進行するようになっている。(縦線を入れた句切れ目にそって演奏しても違和感がない)。
と、いろいろ分析して語ることはできるが、音楽はおそらく大バッハがああでもないこうでもないとひねくり回すのではなく、アイデアとともに「スポン」と生れ出たのであろう。あるいは推敲の結果かもしれないが、そのあとはキレイに拭い去られて、天才のひらめきとしか思えない作品となっている。