2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
最近は「現代音楽」という言葉がはやらなくなった。確かに、60年代ならともかく、21世紀に入って、シェーンベルク以降の西洋音楽をまとめて「現代音楽」というと幅が広すぎるということもあるだろうし、もともとcontemporary musicの訳だろうから、現代に広…
竹内まりやさんの「元気を出して」はもともと薬師丸ひろ子さんに書いた曲だが、まりやさん本人のカバーバージョンがあり、そこでは最後のコーラス部分に薬師丸さんが参加している。 このコーラスが秀逸なので、採譜してみた。音はこちら。 実に美しい対旋律…
竹内まりや featuring 木村拓哉 の「今夜はHearty Party」である。このdanceable tune はバークレーメソッドのお手本のようなコード進行になっているので、解析(というほど大げさなものではないが)してみたい。 Bbメジャーの曲だが、ところどころでスパイ…
ブラームスの第一交響曲冒頭。つかみはばっちりですよねぇ。ブラームスが何年も考え抜いたんだから当然といえば当然ですが。この部分は順次進行に伴う、掛留音と偶成和音の嵐であります。rが掛留音、四角く囲った部分が、必ずしも機能的ではない、経過音の…
チャイコフスキーの悲愴を取り上げるのは「私の記憶がたしかならば」二回目。第3楽章のブライトコプフの楽譜で練習番号Dの部分。 同じ音形がバスの上で、バイオリン、クラリネット、ビオラ、ホルンと受け渡されるのですが、ちょっと変わった響きになっていま…
「小澤征爾さんと、音楽について話をする」という小澤征爾・村上春樹両氏の対談があるのだが、その中でブラームスの第一交響曲第4楽章のホルンの息継ぎ問題が語られている。本には一切譜例がないのだが、著作権も切れているのだし、例示なのだから、ちょっと…
ベルクの音楽の独自性、美しさ、は十分認めるものであるが、時々、「これはいくらなんでも間が抜けてないか」と思うときがある。 上の譜例はバイオリン協奏曲の第一楽章で、リズミカルな主題が提示されるところだが、これはまぬけである。音はこちら。 下の…
「けんかをやめて」といい「終楽章」といい、竹内まりやさんの描く女はもうとんでもない奴ばっかりだ。「誰が悪いわけじゃなくて」って悪いのはおまえだろ。あやまれ(笑) 「終楽章」は9thのかたまり。どんだけ9th好きなんだよっていう。9thにすべて赤丸を…