Jun Yamamoto音楽を語る

Jun Yamamoto 音楽を語る

クラシックのおいしいところをつまみぐい https://jun-yamamoto.wixsite.com/jun-yamamoto

2026年6月9日(火)グループNEXT 第27回作品展

昨日は上記にお邪魔しました。簡単に感想など。(敬称略)
井作品。左手だけでピアノの上に構造を打ち立てる。最初の部分は3つの層が重なるように書かれている。アイデアとしても音としても面白い。続いて単旋律/アルペジオが連続するが、音の選びかた間のとり方ともに秀逸だと思う。和音の連打と長い和音の交錯。旋律が現れてしばらくすると長い単旋律が続いてリズミカルな音型となる。音数が増えてクライマックスを構成して静かになり、低音部の和音連打で余韻を残して終わる。篠田のヴィルテュオージティが輝いた演奏であった。
若林作品(1)。曲目変更があり、当初予定の初演作品ではなく"UTU"の再演となった。
フルートに強く吹き込む息の音から開始する。まず声でD音を提示し、フルートがそれに続いてD音を続ける。続いてD上の倍音列を上行するが、D音への集中は途切れることがない。続いて他の音も登場してフルートが空間を大きく広げていく。再びD上の倍音列に戻る。また、激しい息の音。非常な弱音でDの上部倍音(?)を鳴らして曲を閉じる。
清水作品。ピアノの美しい和音の上にソプラノが浮遊感のあるメロディーを紡いでいく。ソプラノのクレッシェンドしていく息の長い旋律とともにピアノが力を増していく。また弱音となり、何かを探し当てようとしているかのごとき楽想にいたる。ピアノのアルペジオで開始し、ソプラノのメロディーが激しく上下する。ソプラノの自信をもった進行にピアノも追随して、確固とした音像が結ばれる。旋律は既存の語法にとらわれることなく、美しくも自由である。(関係ないが、終わりにかけて、客席の咳がひどく、観客にもそれぞれ事情はあるだろうが、クラシックの演奏会というのものはかなりデリケートなものであるので、もう少しエチケットというものがあってもいいと思った。まさか、あの咳も作品の一部なのか…そういう曲もあり得るので油断ができない)
高橋作品。書法的には若干の古さを感じさせるが、ある種のゆるぎなさが作品の新鮮さを保っている。複数の楽想が同時進行する。相変わらずの篠田の的確な演奏が素晴らしいと思う。
若林作品(2)。イヴ・タンギー讃ということだが、もちろん絵画の世界をピアノに移し替えようというたくらみではあるまい。タンギーから受ける印象なり感慨を音で表現するということであろうか。音の選び方はゆるぎないものであるが、私の個人的な感覚からすると「タンギーについて何か語るには、ピアノの音は『角がなさすぎる』」ように感じる。勝手なこと言ってすみません。後半三度のコラール風の部分が出てくるあたりが、前半と異質で、面白い。
篠田作品。コントラバスとピアノのデュオの曲にしてはあり得ないほどウルサい(賛辞)作品・演奏含め、この情熱には頭が下がります。

ヒヤシンスの時に 池上敏 遺作 世界初演 演奏会

Le Billet Doux 恋文 Le Sixième
ヒヤシンスの時に 池上敏 遺作 世界初演
2026年4月12日(日)14:00
戸塚区民文化センター さくらプラザ・ホール
ソプラノ 吉府 充希子
ギター 日渡 奈那
フルート 吉岡 次郎
上記の演奏会にお邪魔してきました。
以下、第二部の池上敏作品について、ひとことふたこと、個人の感想など。
二つの無言歌 第5集
演奏者の名前からモチーフを作るというのは、おそらくラヴェルがハイドンの名によるメヌエットに採用した方法によると思われる。従って、モチーフそのものは調性をもったものになったのではないか。この曲では緩やかな調性を保ちながら奏でられるフルートとギターの音色があたたかく、また優しい。ギターの音はピアノにくらべてはるかに繊細であるとつねづね思っているが、また一つ例証が積み重ねられたように思う。フルートの書法も練達のもので、実にのびのびとよく歌う。
増井一友氏を偲んで Kazutomoによる二つの無言歌
これも名前由来のモチーフということだが、はっきりした調性を持つ屈託のない旋律を聞かせる。KAZUTOMOをラヴェル式に音名を当てはめれば、D-A-E-G-F-A-F-Aとなり、このモチーフは曲頭にはっきり現れる。フルートのソロ、ギターのカデンツァを経て、冒頭のテーマが再帰する。調性を自在に操る作曲者の技倆は確かである。
二曲目は同じ音列を最後から辿って(A-F-A-F-G-E-A-D)ヘ長調を提示する。
「二つの歌曲」立原道造の詩による 女声とギターのための
詩の内容にもよるのだが、これもまた限りなく優しい「子守唄」と「ソネット」である。伸びやかなソプラノとそれに寄り添って、ギターがかなりの技巧を凝らして伴奏する。
三つの詩 女声とフルートによる 立原道造「暁と夕の詩」より
がらっと傾向が変って、調性はあるとしても背景に退く。ソプラノとフルートが対等の地位を占めて、詩の世界を描き出す。フルートではフラッターツングを多用して、また、歌・フルートともに音程的にも増音程(減音程)の使用がおおく、激しい表現をためらわない。
一般論だが、日本語をベルカントで歌おうとすると、どうしても歌詞が聴き取りにくくなる傾向がある。「エ」が「ア」になってしまったりするためだが、ここで吉府は詩を尊重して日本語が明瞭に聞き取れるように演奏している点に好感が持てる。
ところどころではっきりした調性を導入して緩急を持たせるのは作曲者のたくらみであろう。最後はソプラノは「語り」のようになって、フルートの強奏をもって全曲を終わる。

松任谷由実 静かなまぼろし m-flo version の奇妙な音

「静かなまぼろし」はユーミン(松任谷由実)の名作であるが、m-floが"Dear Yuming"でこれをカバーしていて、とても面白いアレンジなのだが、どうしても奇妙に響くのが、「そのとき、まぼろしを、みてるきがした」というフレーズの終わりの「た」の音である。

ひとことで言えば、この「た」の音は、和音の7度音で、それが放りっぱなしになっているのがこの違和感の正体ではないかと思う。

下記の譜例はOriginalは原調のまま、m-flo versionはもともとBb のものを原調にそろえてGに直したものである。赤で囲った部分がオリジナルと違う部分である。オリジナルが3小節目「きがした」をF#7-Bmという明確な終止にしているところを、m-flo版でははずしている。

 

 

Phidias Trio vol.13 “Re-invent” 感想


Phidias Trio vol.13 “Re-invent”

 

2025年12月26日(金)

19:00開演(18:30開場)

杉並公会堂 小ホール(杉並区上荻1-23-15)

【プログラム】

山本裕之: わしらの新しいご領主に …そして税金を払う岩手の農民たち(2025 委嘱新作) 

※原曲: J.S.バッハ: Mer hahn en neue Oberkeet  BWV212 (「農民カンタータ」)

山本裕之: 三つのインヴェンション(2025 委嘱新作)

山本裕之: 楔を打てど、霧は晴れず (2006) 

山本裕之: 輪郭主義・ミニ Contour-ism mini (2012)

 

【出演】

Phidias Trio (フィディアス・トリオ)

 ヴァイオリン・ヴィオラ 松岡麻衣子

 クラリネット 岩瀬龍太

 ピアノ 川村恵里佳

ソプラノ 坂口真由(ゲスト)

バス 牧山亮(ゲスト)

 

(感想)

Phidias Trioの皆さんの技術の卓越はよくわかっている。(拙作の初演も完璧だった)今回は四分音を多用する方向に向かった。山本裕之さんの作曲技法もこれまた大変なもので、四分音なしでもそのシームレスな転調の扱いを聴くだけでもお腹いっぱいになるのに、さらに四分音が取り入れられて、バッハはバッハで確たるものがそこにありながら全く違うものになってしまう。どこまですごい人たちなのだろうかと思う。

それに付き合うソプラノ・バスもすごい。

今回の農民カンタータも何も予備知識なしで聞いたら単に音のはずれたバッハを聞かされた…みたいになってしまうところだ。もちろん、この演奏会に来るオーディエンスの大半はソルフェージュもばっちりの少数精鋭の手練れの聞き手だろうからそんな心配はないのだろうが、しかし、私のようなフツウのクラシックファンにはやや難解であったと正直に申し上げておく。

山本裕之作品の重層性も卓越も重々わかるし、Phidias Trioのすごみもわかる。そのエネルギーはどうしても難解な方へ流れがち…いや、もののわかった人に対してそれは失礼なものいいというものだろう。失礼しました。

 

【山本裕之: 輪郭主義・ミニ】

ピアノは12音平均律にチューニングしてあり、ヴァイオリンが四分音を含めて少しずつ「ずれた」「ユニゾン」を追っていく、という印象である。この曲に関して言えば、ヴァイオリンとピアノの音色の違いが際立っているために、「四分音とぶつかることでピアノの音程が変って聞こえる」という効果は少なかったように思う。要はヴァイオリンの平面とピアノの平面を別々に、私の耳は捉えたように思う。

【山本裕之: 楔を打てど、霧は晴れず (2006)】

冒頭は前曲同様にクラリネットとピアノの単旋律の「ユニゾン」風に始まるのだが(リズムは凝っているが)確かにクラリネットの音が四分音になってピアノの音とぶつかるとむしろピアノの音が「歪んでいる」ように聞こえる効果がある。クラリネットの音の方がピアノの音と親和性が高いのだろうか。

【山本裕之: わしらの新しいご領主に …そして税金を払う岩手の農民たち(2025 委嘱新作)※原曲: J.S.バッハ: Mer hahn en neue Oberkeet  BWV212 (「農民カンタータ」)】

【山本裕之: 三つのインヴェンション(2025 委嘱新作)】

農民カンタータの編曲の間に、三つのインヴェンションが挟み込まれるという形で上演された。

ごく普通にバッハの音楽が平和に進行しているかと思うと、突如「山本裕之的変容」が訪れる。非常に高度な技なのだが、ちょっと聞くと単に音程が悪いのかと最初のうちは思ってしまう(思わないけど)。

四分音がちりばめられると、12音平均律になれた(私の)耳は、12音平均律を外さないで演奏される声楽パートに縋りついていく。やめてくれ、この混乱を止めてくれという気持ちになる。情け容赦なしに「はずれた音」を突っ込んでくるクラリネットとヴァイオリン。

挟み込まれたインヴェンションは、12音平均律の「協和音」を挟みながらではあるが、「普通の現代音楽」として聴くので、それほど耳は混乱しない。一休みである。

しかし、それもつかの間、今度はバッハの方が「異質なもの」として鳴り始める。作曲者はそれだけでは満足しないで、異質なバッハそのものにも強烈なトゥイストを加えて(過激な転調とか)異質なものをさらに異界化する。聞き手の心はばらばらにされる。どこにも手をかけるところなく絶壁に放り出されたようだ。

また、一見普通のバッハが戻ってくるが、もうだまされないぞ、と身構えてしまう。案の定異様な転調が挟み込まれる。さらに四分音が挿入されて、短調なのか長調なのかすらわからない闇鍋状態に。

クラリネットの異常な高音。クラリネットとピアノの四分音離れた「ユニゾン」。

いつのまにか半音ずれている転調。いや、ずれたと思わせてずれてないのか(私、絶対音感がないのですごく騙されやすい)クラリネットはよく持ち替えずに吹いているな。おそらく譜面はとんでもないことになっているはず。

この四分音の嵐のなかで、ソプラノとバスが普通に3度でハモっているのが奇跡に思える。

インヴェンションIIIが挟み込まれるころには耳はへとへとになり、一方聞く気構えの方は開き直っている。

すごい曲・演奏を聞かせていただきました。集客は満席とは行かなかったようですが、聞き手を選ぶ演奏会だと思いました。

山本裕之さんは「クラシカル寄りで書いた」とおっしゃっていましたが、所謂伝統的なクラシックのロジック(アンセルメのいう「ドミナントへの軌道」)というものは存在していたのかもしれませんが、私にははっきりとはつかめませんでした。

残る疑問は、このスコアを山本裕之さんはDoricoで書いたのかどうか、という点である。伺い損ねてしまった。【追記】Notation soft はDoricoだそうです。

 

Tonight from "West Side Story"

2021年の映画、West Side Storyを観た。音楽は録音はともかく1961年版とほぼ同じ構成で、非の付け所のないバーンスタインの大傑作であるが、映画としては役者含めやっぱり私は1961年版の方が好きだなぁ。
ミュージカルとしても名曲ぞろいなのだが、ジャズで取り上げられる頻度が低いような気がする。ガーシュインと比較すれば歴然と違うだろう。おそらくジャズナンバーにするにはポップスとしても使いにくいのだろうと思う。スコアを見るとバーンスタインの書法はあくまでクラシカルで、バークレイ流のコードを振るのが難しい。無理にコードを書くとこういうことになってしまうのだ。(2021年版のバルコニーシーンによる。マリアはAbで歌い出している)

ブロードウェイ版では、歌い出しはBbなので、見た目が多少マシである。おそらくバーンスタインはこの調で作曲したのだろう。