ラヴェルのクープランの墓はどこをとっても発見の泉なのだが、この2曲目のフーガはどうも影が薄い(当社比)。美しいのは間違いないのだが、「フーガ」といわれたときに「これ、フーガかぁ?」という気持ちがぬぐえない。実際、オーケストラ版には入ってない。やっぱり「こいつはちょっとな」という気がしたのではないかなぁ。
ゆる~く分析してみる。Sが主唱、Rが応唱、CSは対唱、変形されているもの、短縮されているものにはダッシュをつけた。反行形には(inv.)としてある。コードネームを一応付してみたが、いわばモードで書かれているのであまり意味はない。
バッハ様式あるいは厳格書法のフーガとは全く違う。解決しない7度音が平気で出てくるし、かなり注意深く避けられてはいるが、四六の和音、並行5度も出てくる。また、倚音だらけである。
形としては、主唱があり、属調で応唱があり、それぞれに対唱が伴っており、フーガの体裁は整えてある。特に対唱が大活躍している。しかしながら、和声進行がいわばモード的(旋法的)で、短調の部分でも導音が半音上がらなかったり、いわゆる機能和声的な部分が少ないので、ふわふわとたゆたい、あまり前へ前へという進行する感じに欠けている。逆にいえばそれが魅力である。
30小節目から、バスにhが引っ張られて、大ドミナントであるが、ドミナント感、薄くないですか?何しろ、e moll のドミナントたる所以の導音 dis が全然出てこないんだもん。(厳密には30小節の頭にあるけどそもそも解決しないし、下降していつの間にかdになってしまう)
39小節目の頭には主唱が反行形で一拍おきのカノンになったり、いろいろ芸をしているのだが、どうもキャラが立たないように思う。
終結に向けて、主唱、対唱、それぞれの反行型が入り乱れて、半拍遅れで入ったり、最後なんかは、三声すべてが主唱で半拍おきにカノンになるという大技まで出ているのだが、どうも対位法感が薄い。うーみゅ。