ベルクがシェーンベルクに師事して、一種の卒業作品として書いた一楽章のピアノソナタだが、あらためて譜面を見るとその異様さに気づく。
ダイナミクスとテンポの変化がきめ細かく記されている上に、アクセント記号、スフォルツァンドの書き分け、それと5-6小節目の一音一音に記されたクレッシェンドとディクレッシェンドの繰り返し。言うまでもなく、こういう表現はピアノではまず不可能であるから、そういう気持ちで弾けということなのであろうが、右手左手の指示も加わって譜面はきわめてせせこましくなっている。
一方で変拍子はなく、連符もかろうじて三連符があるだけである。行き着くところまでいったロマンティックなのであろうか。師匠のシェーンベルクも結構書き込んではいるが、これに比べればあっさりしている。
テンポは揺らしているし、ダイナミクスの変化もあるが、ベルクほどではない。音符が細かかったり、無音で鍵盤を押さえることによるハーモニクスとかはあるが譜面は比較的シンプルだ。因みに同時期(20世紀初頭)のR.シュトラウスの、これは歌曲の伴奏のピアノパートだが、あっさりしたものである。ストラヴィンスキーにいたってはほとんどテンポは変化せずに機械的に音楽は進む。アクセントすら最低限だ。
ベルクに特有のこの「過剰」は作曲家の本質を示すものだろうと思われる。骨の髄からロマンティックなのだ。十二音で作曲していても「抒情組曲」であり、彼の好きな悲惨なストーリーのオペラもなお、ロマンティックである。