Jun Yamamoto音楽を語る

Jun Yamamoto 音楽を語る

クラシックのおいしいところをつまみぐい https://jun-yamamoto.wixsite.com/jun-yamamoto

芸術を楽しむにも最低限のリテラシーは必要なんじゃないか、という話。

現代音楽にしても、別に何の予備知識もなしに聞いてもらったってかまわないのではあるが、そこはそれ、ベートーヴェンからワーグナードビュッシーラヴェルバルトークを経て、ストラヴィンスキーショスタコーヴィチという西洋音楽の文脈を知った上で聞いてもらうのとはだいぶ違うわな。
極端な話、明治維新ごろの日本人がぶっつけでベートーヴェン聞いても、何がなんだかわからなかったんじゃないか。フーガを聴いて、ずれているといって嘲笑したという話もあるが、これはちょっと眉唾だけれども。
母は1930年前後の生まれだが、若いときにずっと歌舞伎とかは見ていたが、はじめてオペラを見たときは、可笑しくてしょうがなかったといっていた。歌舞伎の所作、発声、音楽に慣れていて、西洋音楽、それもオペラなんか見ちゃったら違和感の塊だろうと思う。
どんなものでも、ある程度の文化の共有がないと、鑑賞することも、楽しむことも、批評することもかなわないのではなかろうか。そういう意味で、「芸」を楽しむというのは一種の「能力」だとおもうんだよね。私には円城塔を楽しむ能力がないわけだが。
音楽は世界の共通言語、どの国の人とでもコミュニケーションができる、皆でビートルズを一緒に歌って感動した、とかいうけどね、それは音楽が民族を越えたんじゃなくて、欧米のポピュラーミュージックという文化を多くの民族が学び、習得したということであって、「音楽が民族をこえた」というのとは根本的に違うんじゃないと思うのよ。

(追記)

論旨が明瞭でなかったようだ。西洋音楽、十二音平均律、コンスタントな拍節、といったものに我々は取り囲まれていて、世界中これが通用するような気になっているけれど、つい100年前は日本人はこれを理解できなかった。感動もしなかったろう。

したがって、音楽は感じればいいんだ、とか、世界共通だ、とかいうのは間違っているか(歌詞があるとかないとかいうのも二次的論点だと思う)、少なくともあまり真剣に物事を考えた上での発言とは思えない。お互いに文化を学び合うという非常に苦痛に満ちた道を通らない限り相手の文化を理解できない。