Jun Yamamoto音楽を語る

Jun Yamamoto 音楽を語る

クラシックのおいしいところをつまみぐい https://jun-yamamoto.wixsite.com/jun-yamamoto

【番外編】クラシック音楽における即興演奏

クラシック音楽の即興演奏というのは、もともとは行われていたのだろうけれど(バッハ時代のオルガンの即興演奏とか、コンチェルトグロッソでソロが即興演奏するとか、バスコンティニュオだけ見てチェンバロを弾くとか。モーツァルトベートーヴェンもコンチェルトではカデンツァを即興演奏しただろうし、パガニーニ、リスト、ショパンあたりも即興演奏をしたかもしれない)その伝統が絶えて久しい。数字付バスだけみてそこそこ演奏できるチェンバリストなりピアニストがどれだけいるだろう。
一方、即興演奏に磨きをかけてきたのはなんといってもジャズである。ニューオーリンズジャズから、スウィング、ビバップ、モード、フリー、と即興無くしてジャズはなりたたないし、その技術はピッカピカである。
ジャズにおける即興演奏は、多くをその伝統によっており、あるコード進行を基礎としてその上で自由に演奏する場合が多いが、現代のジャズミュージシャンが数音のフレーズを奏するにしても、100年(他の分野から見ればたったの100年といわれるかもしれないが)のジャズの歴史を背負っているといっていいと思う。ハービー・ハンコックはクラシックでデビューした人だが、その音にははるかアフリカの音楽もエコーする。
クラシックの演奏家が、即興演奏するという場合に気を付けなければいけないのは、安易にジャズミュージシャンの真似をしようとしても、無理なことがおおいということである。もちろん、例外はある。筋金入りの連中、たとえばフリードリッヒ・グルダとか、レナード・バーンスタインとか、アンドレ・プレヴィンとかは別だ。プレヴィンなんか、夏の間はウェストコーストでジャズで稼ぎ、シーズンが始まると東海岸やヨーロッパでクラシックを演奏して稼いでいたんだから、別格なんである。
世界一流のクラシック演奏家でも即興がダメな人もいる。一度、イツァーク・パールマンがジャズの連中に混じってソロをとるのを聞いたことがある。ご愛嬌ではあるが、とても聞けたものではなかった。
クラシックの演奏家はその長い歴史を背負っている。おそらくみんな数百曲のレパートリーがいつでも演奏できるようになっているのだろう。これだけの蓄積があれば、即興演奏くらいどうということはなさそうなのだが、これも人によるということだろう。
現代音楽の中には、そのスコアに即興演奏を指定するものがある。完全にフリーにしてしまうものもあるが、主に使う音を限定して見たり、リズムを指定してみたり、一種の疑似伝統をそのスコアでのみ作り出そうとしているように見える。演奏家が十分にこなして演奏することができればよいのだが、疑似伝統はあくまで疑似であって、聞くに値するものがどのくらいできるか。疑問である。
一方で、ジャズの伝統からクラシックに影響された部分をつまみ食いして、即興演奏と称するというやり方もある。延々とメジャーセブンスが続き、耳あたりのよさそうなフレーズが続くというやつである。多少なりともドビュッシーあたりを研究すればできる芸当だが、聞き手はすぐ飽きる。
そういえばタモリさんの持ちネタで「誰でもできるチックコリア」というのがあった。
https://www.youtube.com/watch?v=c6ZWEBIVbKg
白鍵だけをつかって即興演奏をするのだが、さすがはタモリさん、それなりに芸になっているのがすごい。しかもこれはさらに深遠なのである。チック・コリアの言葉に「コードとスケールは同じものなんだ」というのがある。合ってるんである。
ためしにGoogleで「即興演奏」と入れて検索をかけてみたら、14歳のJennifer Lin のTEDでの演奏というのが出てきた。彼女はYAMAHAの子供たちの一人である。指はよく動く。しかし、聴衆が選んだC G B A Eという五つの音で演奏した即興演奏は、よくできてはいるが、陳腐以外の何物でもない。
http://www.ted.com/talks/jennifer_lin_improvs_piano_magic
最初に演奏しているポーランドの作曲家の作品というのも最初のアイデアは悪くないのだが、その展開の仕方に私などは不満が残る。まだ14歳、これからの成長が期待されるといいたいところだが、残念ながら、Lin嬢はピアニストになることはなさそうだ。
YAMAHAの子どもたちのメソッドには即興演奏が組み込まれている。テーマを与えられて自由に変奏していくというもので、決して悪くはないと思うのだが、どれを聞いても同じように聞こえるのは、テーマとコード進行に対する発想の柔軟性に欠けるからだろうと思う。Am Dm E7 Am という進行があったとして、そこから離れてどれだけ斬新なテーマの扱いができるか、というのが面白いところなのだが、私が聞く限り、いずれもこじんまりとまとまってしまっている印象がある。
クラシック音楽ベースの即興演奏、大いにやるべしではあるのだが、そこには陥穽があることを十分意識すべきだ。ファジル・サイ?悪くはないのだけれど…

Schönberg Kammersymphonie Nr. 1 E-Dur op. 9

シェーンベルクの作品番号の若いものには好きな曲が多い。これもそう。

編成が斬新だったので当時は賛否両論あったようだが、それ以上に音の使い方がすごい。

だいたい、ホ長調と銘打ってあり、最初にホ長調の調号がかいてあるのに、ハナからこれである。とりあえず半音上のヘ長調に終止する。音はこちら。喧嘩を売っているとしか思えない。

f:id:jun_yamamoto:20160828153446p:plain

つづいて有名なホルンによる完全4度を積み重ねていく動機が提示されて、そのあとに主題が続くが、私としては次の第二主題(?)が大好き。音はこちら。コードネームと、さらに最上段に黒玉で和音の構成をメモしてある。

f:id:jun_yamamoto:20160828155000p:plain

f:id:jun_yamamoto:20160828155009p:plain

これも最初から、Fm Db という進行の直後に F#m Dという進行をもってくるという過激さ。この楽譜では第二バイオリンの16分音符を拾ってしまったのでごちゃごちゃしてしまったが、もともと細かい仕事ではある。便宜上コードネームを振ってみたが、無理がある。二段目の最初の和音はどう表現していいか悩む。メロディーにDナチュラルがあって、和音にはD#(Eb)が含まれている。しかし、実際の演奏を聞くと無理に聞こえないのが不思議である。二つ目の下向き赤矢印から、同じ調でテーマが繰り返されるが、バスがすき放題に動くので、和音を求めて耳がさまよってしまう。この曲の初演時のショックはすごかっただろうと容易に想像がつく。

 

www.youtube.com

 

 

 

Kaori Nabeshima "Exotic Dance" for Alto Saxophone and Piano

この作品がNHKの朝のFMの番組で流れていて、「おお!」と思ったのが、鍋島作品を認識したはじめ、であった。すみません、遅くて。

大きく上下に展開したピアノのC音の強奏から始まるこの曲は、アルトサックスの最初の4つの音、C E D Bb これでノックアウトされるように書かれている。(譜例は骨格だけを示しており、表情記号などを捨象している。あしからず)

f:id:jun_yamamoto:20160827203228p:plain

この4音がExotic DanceのExoticである所以で、この形は後に何度も登場する。それに連なる音を順に並べてみると、最上段のようになるが、このあとピアノに足りなかったGとFもすぐ出てきて、ほとんど12音をカバーしてしまうのだが、ペダルでなっているC音、それに最初の4音に支配されて、調性ははっきりしている。すこしあと、練習番号Aの部分が下段だが、中のト音記号の段がサックスで、音を拾い上げると最上段のようになる。最初の4音(変形されているが)とともに、ここでも調性は健在であるが、ただし、ピアノは相変わらずC音のペダルに留まり、さらに長三和音の第二転回形(いわゆる四六の和音)がたゆたっている。この音形、すなわち四六の長三和音の平行移動はこの後もふんだんにでてくる。

臨時記号のつかない、サックスのカデンツァを経て、Danceはいよいよリズミックな展開を見せる。練習番号Sの部分。

f:id:jun_yamamoto:20160827201204p:plain

上の譜例も大幅に単純化してあるのでご注意いただきたい。上段中音域にあるのがサックスパートで、最初D音だけでリズムを奏しているが、F#上の長三和音から始まるこれもAとA#が共存したりしているが、一つの調性的な響きをつよく感じさせるし、ピアノの左手、低音部と合わせて、ポリトーナルというか、いくつかの調性の平面が立体的に組み合わさっているような効果をあげている。

特筆すべきはそのリズムであるが、実はこの部分、拍子記号を書き始めるとえらいことになる。16分の13(!)と16分の12が交代するのだが、作曲者は思い切りよく拍子記号を省略してしまった。16分音符を単位にとれば、複雑なはずの拍子なのだが、非常に自然に響く。この手の変拍子は古くはストラヴィンスキーあたりだが、はるかに自然にスムーズに処理されており、作者のリズムの感覚の鋭さを感じさせる。むしろ、プログレッシブロック変拍子に近いか・・・それも重過ぎる。この軽やかさはすばらしい。

ここでもピアノの左手は長三和音の四六の和音を頻用している。これが、全体にバスの安定感とともに聞き手に安心感を与えているように思う。

さて、この曲、Cのオクターブの強打で始まったが、最後もフォルティッシモのオクターブ(厳密にいえばサックスが5度音だが)で終わる。さて、作者の選んだ音は?

(追記)こちらのCDで聞けます。

Amazon CAPTCHA

須川さんの超絶技巧を聞くだけでも価値があります。つまらない曲も入ってますが、オムニバスだからしょうがないですね。

 

Wagner "Ride of the Valkyries"

ワルキューレの騎行(Ride of the Valkyries)』は、ワーグナーの楽劇 『ニーベルングの指輪』の第一夜 楽劇『ワルキューレ』の第三幕の前奏曲です。

このブログ、手当たり次第にいろいろなものを取り上げてきたので、筆者自身も何をいつどういう形で取り上げたのか忘れていて、「これやってないよな」というのを確認しないといけない。前回ワーグナーを取り上げたのは、ジーグフリートの葬送行進曲だったから、ワルキューレの騎行はまだでした。

どうもこの曲は「ソ、ドッソドー、ミー、ドー」の「ドッソドー」をアウフタクトに感じてしまうのですが、そんなことないですか。ないですか。そうですか。

この前奏曲一曲で、和声上の大発明といっていい曲だと思うのですが、そう思う所以をご説明します。

最初にテーマの提示があって、その次の部分ですが、こんな感じ。例によって音楽の骨組みだけを取り出した譜表で示します。(音はこちら

f:id:jun_yamamoto:20160827121222p:plain

譜例の5小節目でGの増三和音が出てきます。これが大変特徴的なのですが、Bの代理とみなして、Eの和音に解決します。その後はFとC/Gの繰り返しで一回そらしておいて、これも例外的処理ですがF#に行きます。一種の偽終止(F→F#(Gb))と考えてもいいかもしれません。更に半音上がってGの増三和音です。もう一度C/Gを経てF#、これをドミナントとしてB Majorに入って、主題が繰り返されます。

この後が、大胆な部分です。音はこちら

f:id:jun_yamamoto:20160827121753p:plain

B Majorの主和音に落ち着いたあとは、いろいろトリルとか半音の修飾とかありますが、取っ払ってしまえば、すべて長三和音の非機能的な連続です。

BーG-E-Cという三度の下降の形は大得意で、またまねもしやすいので、後の作曲家も多用しています。ポピュラー音楽でも使われますね。

一旦F#に落ち着いてさらに F#-(長三度下降)D-(減5度下降)G#-(長三度下降)E(半音ずつ上行)-F-F#ーGー(5度上行の弱進行)D-(半音下降)C#-やっとドミナント進行が出てきてF#へ。この後、またテーマにもどって、しばらくするとおなじみのGaug Gの増三和音が出てくるのですが、(音はこちら

f:id:jun_yamamoto:20160827122607p:plain

こんどは前回のようにF#から半音上がって入るのではなく、Bから長三度下がって入ります。ここは新鮮に響きます。さすがWagner。

 

 

Herbie Hancock Solo in The Eye of the Hurricane (1965)

ハンコックがMaiden Voyageというアルバムを出したのが1965年。ここで聞くことのできるイディオムを多少なりとも消化するのに50年かかっているとはなんたることであろうか>ワシ

日本のピアニストでも坪口昌恭さんあたりは、ハンコック節を完全にマスターしておられるのは知っているが、なかなか理屈ではまねできないところがあるんだよねぇ。

ここではMaiden Voyageに収められたThe Eye of the Hurricaneのハンコック先生のソロを取り上げるが、これをコピったのは私ではない。リットーミュージックの藤井貞泰先生のご本をみて作りました。はい。

この曲は周知の通りマイナーブルースということになっている。F minorのブルースですな。12小節で一単位となっている。

F minorのブルースといってもモーダルな捉え方なので、軸になる音はFに留まったままだが、スケールはまるで粘土のように自由自在に姿を変える。

まず、F minor であるから、F G Ab Bb C Db Eb の音階のほかに、メロディックマイナーとしてD E は当然、ハーモニックマイナーとして、E は当然出てくるし、Dも F Dorianの形で自由に登場する。更に、短調を特徴付けているAbも好きなようにAナチュラルになっちゃうし、Diminished Scale が自在に使われる。間を埋める形での半音階の使用は当然である。

また、音階音でない音が倚音の形でぼこぼこ出てくるし、倚音のままで解決せずにほったらかし、ひどいときはフレーズの最後が非音階音だったりする。

さらに、あらゆる形のスケールアウトが頻出する。スケール音とスケール音の間を半音で埋めるスケールアウトに加え、半音上から、半音下から、3和音4和音の形でのアプローチが自由自在になされている。

しかし、何でもアリというわけではないのだな、これが。そこがセンスというか、なんというか、そう簡単にマネができない所以なのであろう。そんな感じ。

明らかに理屈のつくスケールアウトには説明を入れてみました。音はこちら。これだけ聞いてもなんのことやらですけど。

 

f:id:jun_yamamoto:20160821194313p:plain

f:id:jun_yamamoto:20160821194319p:plain

f:id:jun_yamamoto:20160821194324p:plain

f:id:jun_yamamoto:20160821194329p:plain

f:id:jun_yamamoto:20160821194334p:plain

 

 

Note étrangère (非和声音)

ネット上に、非和声音について、日本語とフランス語、あるいはイタリア語とを併記したサイトがないので、書くことにしました。

f:id:jun_yamamoto:20160817102026p:plain

非和声音とは、読んで字のごとく、コードにない音のことですが、本来のコードの音が「ずれている」ととらえた方が直感的にわかりやすいし、理屈にもあっています。

倚音  appoggiature

本来のコードの音が上か下に一音ないし半音ずれたもの。本来の音に解決します。

掛留 retard

直前のコードのコード音を引き延ばすことによって倚音を作り出す場合、掛留といいます。

先取音 anticipation

直後のコードのコード音を「先取り」して鳴らすことで、その音が今のコードにとって非和声音である場合、先取音といいます。

刺繍音 brodrie

コード音が一音ないし半音、上がって下がる、あるいは下がって上がることで「ずれる」。このずれた音を刺繍音といいます。

経過音 passage

コード音から別のコード音に順次進行(一音ずつ移動する)で移っていく場合、その間の非和声音を経過音といいます。

逸音 échappée

強拍上のコード音から、次の強拍のコード音に順次上行または下行する際に、中間の弱拍上で、進行方向とは逆の方向に音がずれて非和声音となる場合、逸音といいます。

以上、あってると思うのですが、もし間違いなどありましたら、ご指摘くださいませ。