Jun Yamamoto 音楽を語る

クラシックのおいしいところをつまみぐい http://jun.la.coocan.jp

20世紀音楽の始まり

ドイツロマン派の終わりはどこなのか。ワーグナーパルジファルが1882年、ブラームスの最後の交響曲が1885年である。ワーグナーは1883年に死に、ブラームスは頑張ったが、1897年に死んでいる。シェーンベルクが「浄夜」を書くのが1899年、まさに20世紀の前夜である。


ロシアではチャイコフスキーが悲愴交響曲を書くのが1893年。その年に死ぬ。


しかし、ロシアではムソルグスキーが1874年に「展覧会の絵」を書き(この年は「ニーベルングの指環」が完成した年)、フランスではドビュッシーが愛らしい初期の作品であるピアノトリオを1882年に書き、「月の光」「亜麻色の髪の乙女」あたりは1882年に出来ている。ラヴェルも1885年、「古風なメヌエット」を書いている。


ドビュッシーは1889年に「小組曲」を完成させ、革命は1894年に「牧神の午後への前奏曲」でとりあえず完成している。


ドイツではシェーンベルクの室内交響曲が1906年、ベルクのピアノソナタ作品1が1908年、十二音技法の最初の作品であるシェーンベルクのピアノ組曲はずっとおくれて1923年である。


ロシアからパリに出てきたストラヴィンスキーは1910年に「火の鳥」、1911年に「ペトルーシュカ」と快進撃を続け、ついに1913年に「春の祭典」を発表して、すべてをぶっ壊してしまった。このストラヴィンスキーの「蛮行」はドビュッシーの破壊工作が前提になっているといっていい。


つまり、ドイツ音楽が自重でつぶれて、十二音技法ができるはるか以前にフランス=ロシア連合が新しい音楽の扉を開いてしまったと言えるだろう。

追記)

マーラーとRシュトラウスを加えてみた。この二人は遅れてきた感が強い。もちろん作品の価値には関係ないことだが。

 

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